確かに、友だちが1人もいないのは良くない。でも、本当の問題はそれをどう生かすか。
中学生の頃友達がいなかった僕の後悔
24歳の僕が後悔しているのは、学生時代に友だちがいなかった事ではありません。
それよりも、”人と仲良くなることに執着していたこと”を後悔しています。
誰かと仲良くなったとしても付き合い方が分からないのだから、結局相手に任せるばかりになるだけ。それならいっそ“みんな他人なんだ”と認めてしまって、無視してしまえばよかった。
人の顔色をうかがうのではなくて、自分が楽しいと思えることに夢中になっておけばよかった。
そうすれば、1つくらい誇れる特技ができたかもしれない。
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友だちがいないことの意味
あなたから見て、あなた以外の人間は大きく3種類に分けられます。
- 敵=徹底的に反撃してもいい相手
- 味方=助けたいと思える相手
- 他人=関わらない方がいい相手
中学時代の僕は、このことを知りませんでした。それが思い違いの始まり。
クラスに友達が1人もいないということは、集団の中で孤立しているということ。
つまり、1人も味方がいないということ。 困ったときに助けを求める相手がいないということ。
当然そのままだと不安だし、怖い。そう思うのは当然の反応です。
そこから逆算すると、友だち(=味方)は“自分をどんな不安からも守ってくれる存在”という意味を持つのが妥当。当時の僕はそう考えました。
「自分に味方はいない。自分一人では到底太刀打ちできないような不安と戦っているんだから、誰かの助けが欲しい。」と、そう思っていました。
でも、それは間違いでした。
多くの人は、自分が守ってあげたいと思える相手。お互いにそう思える関係のことを“友だち”というのだそうです。
たださ、友達ってさ、基本は 「自分が」好きになった相手の事だと私は思うの。 まず自分が相手を好きになって、 その相手が自分も好きになってくれたら、友達。 貴方はクラスに好きな人がいるの? まずそこじゃない? 貴方の文章を読んでいると、 「私は誰も好きじゃないけど、 周りの人には私を好きになって欲しい!」 って言っているようで、 なんだかなあって感じがする。 ヤフー知恵袋より引用
だから、自分が先に相手を安心させてあげないと友達は出来ないし、定期的にメンテナンスもしないといけない。お互いの“友だち”の定義が違うのなら、仲良くなってもその関係を維持することなんてできません。
自然にそう思えるように成長できるなら、その方が楽だし良いのは当然。友達は、いないよりいた方が良い。
僕の場合、無視して攻撃してくる“敵”だと思っていた人たちは実はみんな“他人”で、単に僕と関る理由がないだけ。僕はそれを勘違いしていました。勘違いしていなければ、僕の方から歩み寄る方法を知っていたなら、少しは結果が変わったのかもしれません。
友だちよりも大事なもの
いつまで経っても“友だち”というのは、限られた人の元にだけ現れるボーナスキャラみたいなもの。当たる見込みのないギャンブルと同じで、それこそ「夢を買ってる」ようなものです。
それより先にこだわるべきなのは、自分の身を守る力を手に入れること。
「自分にはこれがある」と胸を張って言える自信を手に入れることです。
多分、それさえあればなんとかして生きられます。
そのために、自分の好きなものを恥じないこと。そうすれば、勝手に気が合う人は集まって来るでしょう。