禅に学ぶマインドフルネス『PRIME JAPAN 日本の心に出会う』

マインドフルネスの概念は、体験したことのある人でないと理解しづらいものです。

“心を無にする”というけれど、あくまでmindfulnessなのであって、emptyでもnothingでもありません。むしろallや、just being。

 

人類史上初めて100メートルの素潜りを達成したジャックマイヨールや、appleスティーブ・ジョブズなども実践してたマインドフルネス。分かり易く解説したドキュメンタリーを見つけたので、そこからも引用しつつ紹介します。

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座禅

座禅というと、胡坐をかいて座って、たまに叩かれるようなイメージがあるかもしれません。

ですが実際は、先入観を取り除いて自分を見つめなおすための日常的な修行の一つです。つまり、just being(ただそこにある)事を目指しています。

 

先入観というのは、自分がした選択のこと。

「〇〇について」考えようとすればいつだって出来るけれど、そうはせずに自然に思い浮かんだ思考を観察します。

頭の中にふと思い浮かんだ雑念を、少し遠い所から眺めるようなイメージ。人である以上“何も考えない”ことはできません。だから、雑念と向き合って「自分は何を思い浮かべるか」を確認するのが目的です。

 

ただじっとしているだけなら簡単なように思えるのだけれど、これが案外難しい。

自分が何をしているのか理解できるまでは時間がとても長く感じ、焦りが生まれてしまいます。そこから抜け出すためにひたすら自分の雑念に集中することで、自分の内面を知ることができます。

重要なのは、“一生懸命”ではなくて“ゆっくり丁寧に”すること。

雑念が一番うるさい

なぜこんなことをするかと言えば、心の中の雑念が思考の邪魔になるから。

周りの環境がうるさくて集中できないのであれば、場所を変えれば済みます。でも、自分の心境がうるさいのであればそれはどこに行ってもついてきます。

人は体を思い通りに動かせると思っているけれど、それは思い込み。どれだけ思い込んでいても心の状態で左右されて、違った動きをしています。

 

自分が思った通りに行動するためには余計なものをすべて無くしてしまわなければなりません。そのための練習が座禅です。

禅と茶道

茶道は、戦国時代に発展した文化です。

武家社会だった当時、いつ死ぬことになるかわからない武士たちはその日その日をお茶を通じてかみしめていました。

 

“詫び寂び”が生まれたのもそのため。

一つ一つの小さな動作にも意識を向けてお茶を淹れることができるのは、その時その時を意識しているからです。

淹れよう・飲もうと思えばどんな飲み方も出来ます。でも、あえて作法として決まった動作にすることで、些細な変化を楽しむことができるようになります。

 

それを退屈に感じるのではなく「違い」と捉えるためには、普段からのトレーニングが必要になります。