「人気者になりたくない」という気持ちはとても分かるのだけれど、見失ってはいけないこともある。

僕は、人と対面で話すことがとても苦手です。

「自分の言葉で相手がどう思うか」とか、「どう言えば相手に伝わるか」とか、そういうことで頭がいっぱいになってしまうからです。

勝手に浮かんでくるのだから、注意しようがありません。

 

頭の中でいろんな思いが勝手に浮かんできて駆け巡り、考えを整理することができなくなります。当然、すぐに言葉が出ずに会話が止まり、嫌な思いをすることになります。失敗した不安が積もって、同じような状況でさらに不安に、さらに不快になります。

 

そんな僕が「人気者になりたい」、「沢山の人にちやほやされたい」などと思うはずがなく。むしろ、ちやほやされている人を見て「人気者なんて絶対なりたくない」と思いながら24年間生きてきました。

笑いものにされるのがオチだ、という不安がどうしてもぬぐいきれません。

 

だからこそ思うのが、「人気者になりたくない」という考えは不完全であるということ。

 

「人は支え合いながら生きている」なんて常套句には虫唾が走る。

けれど不快感に目がくらみ、隠れている“旨味”に目が向いていないのなら、将来の自分が損をすることになります。

人気者になりたくないなら、“理解できる人とだけ深く”つながる努力をした方が良い。

人気者は、訳の分からない非難をたくさん受けます。アイドルみたいな芸能人の扱いを見てるとわかりますよね。

それは、人気者の彼、彼女たちが広く浅く人とつながりを持ってしまっているから。

 

誰だって嫌いな人との関りは避けたいと思っているのだけれど、沢山の人を集めると必ず気の合わない人と関わることになります。投網で一気に沢山の魚を採っているのと同じ。狙った魚だけ、というわけにはいきません。

だから初めは良くても、余計なものが積もり積もってだんだん耐えられなくなっていきます。

 

そういうやり方に耐えられないのなら、初めから避けた方が良い。

人づきあいの苦手な僕たちの場合、それだけは最初から明確です。

“核となる目標”を忘れては本末転倒

どんなものであれ「〇〇したくない」というマイナスな目標は、代替行為を探すためのものです。

それ自体には実体があるわけではなくて、大きな塊をそぎ落としてシンプルにしていくためのナイフみたいなもの。

「〇〇しない」というのは、邪魔なものを取り払うためにある言葉です。

 

僕の場合はこう。

「人と対面で話したくない。」 →話す機会がないから「自分の考えを言い出す機会が少ない」 →「文章を書くことで」溜まった気持ちや思考を吐き出せる
何か考えていると、悩みや思考が頭の中に溜まります。 →溜まったモヤモヤを発散させたい。 →人に話す方法が有るけれど、僕はそれをしたくない。 →なら、文章にしてしまえばいい。

マイナスな目標の裏には、必ず核となる行動があります。

僕がしたいのは、「溜まったモヤモヤを整理して発散させること」。それが出来るなら、やり方はなんだっていいんです。

 

多分、僕が人と話すのが好きな社交的な人間だったなら「文章を書こう」だなんて思わなかったでしょう。それより、人と会って言いたいことを言う方が楽しいはずだから。

でも、それが出来ないから他の方法を模索する。

行きついた先が、文章にまとめることでした。

じゃあ、「人気者になりたくない」ならどうなるのか?

ただ人気者にならないだけなら、人のいない場所に行けばいいだけ。

意外と簡単に達成できます。

でも、それを通して何が生まれるのかを考えないといけません。だた立ち止まっているわけにもいかないので、考えを前に進める必要があります。

 

“人気者になる”ということは“沢山の人に影響力を与えられる”ということ。

じゃあその逆。“他人が関心を持たない”からこそできることって何なのか?

 

多分、大抵の人は「一部の人に深く刺さる何かを手に入れる」という答えに行きつくのだと思います。

 

具体的に何をするのかは人それぞれだけれど、自分に何ができるのか、何が出来るようになりたいのかを考えて実行するのは、何よりも大切なことだと思います。

それを勘違いして「〇〇したくない」に囚われてしまうと、後には何も残りません。

 

それだけは避けた方が良い。