「また髪の話してる」は”自虐ネタ”の入り口として良い文化だと思う。
日常的にネットを使っている人は、どこかでこの言葉を聞いたことがあるんじゃないでしょうか。
いつから言われ始めたのかは不明だけれど、なぜかみんな知っているネットスラングの一つです。
禿がしょんぼりと「また髪の話してる・・・」とつぶやいているその様は、独特の哀愁が漂い、なぜか認知度が高い。 禿だろうとそうでなかろうと、とりあえず髪の毛の話題になるとAAやコメント、タグなどで使われる。 ・・・そんなに過剰に気にするな。またハゲるよ。 ニコニコ大百科(仮)より引用
男性なら、程度はどうあれ自分の髪の生え方について悩んだことがあるのではないでしょうか。
自虐ネタは難しい
基本的に、人の外見を笑いのネタに使うことは失礼に当たります。どんなものであれ、誰だってプライドを傷つけられたと受け取れば怒りを感じるでしょう。
気心の知れた相手であっても、直接外見の話題を出すことはデリケートで気を遣います。
それは当然、髪についても同じこと。
ましてや見ず知らずの人に笑われて喜ぶ人なんて本業の人くらいでしょう。(そんな人がいるのかどうか知りませんが。)
確かにテレビのバラエティー番組なんかで、容姿をいじっている光景はよく見かけますよね。その光景に見慣れていたら、“容姿をいじることは面白いこと”という誤った認識を持ってしまうかもしれません。 もちろんテレビやバラエティーが一概に悪いとは思いませんが、誤った認識を持ったまま、日常生活で身の回りの人に同じようなイジリをしてしまったら、それはかなりの問題。言われた側は、お金がもらえるわけでもなく、仕事が増えるわけでもなく、ただただ心に傷が残るだけなんですから…。
ツッコむことは、ボケることと比べればはるかに楽です。
だからみんな、ボケよりツッコミをしたがる。自分たちとは違うところに勝手にボケを見出して、それを使って笑いを引き起こそうとします。
ボケが無ければツッコミは成り立たないのに、です。
こんなこと考え始めて、気づいたときに周りは敵だらけ。
そんな他罰的な世界で生活するなんて、息苦しくて考えたくもありません。
自虐できる人は強い
だからこそ、自分の弱みを武器に転じることのできる人は強いといえます。
…でも、それを現実の世界で自虐ネタを上手く使うのって難しいんですよね。
上手く自分の人格と劣等感を分離できればいいのだけれど、やっぱりプライドが邪魔をしてしまいます。そういう人は結構多いと思うんですよ。
でも、ネットの世界では環境が違います。
これまでどれだけの人が「また髪の話してる」と打ち込んだのかは分からないけれど、気軽にその人たちの輪に入ることができます。
現実世界のような多対一ではありません。
ボケチーム対ツッコミチームのコミュニケーションの中で、ボケ側に入ることができます。
そして、ボケると必ず突っ込んでくれる人がいます。
何でもない髪の話の後に「また髪の話してる」とコメントがあると、必ずと言っていいほど「元気出せよ」とかそういう言葉がありますよね。
一方的に笑われるのではなくて会話に組み込まれている実感が生まれる。だから、僕個人はこういう文化が割と好きです。
ただ髪の話をしているところで、理由なくボケただけですからね。
それだけの力が自虐にはあるということです。
余談
検索していて見つけた動画。
笑わせてもらいました。