【メイドインアビス】アビス信仰をもとに、アビスの呪いについて整理、考察してみた。

メイドインアビス』原作50話を読んで、いろんな人がイルぶる=イルミューイという話をし始めました。

 

初めはそれを聞いて懐疑的だったのだけれど、改めて自分で整理すると納得のいく点が結構あったので考えてみることに。

それにしても不明な点は多すぎるから、とりあえずアビス信仰に則って色々考えてまとめてみました。

完全に個人の見解なので、断定口調でも確定じゃありません。 適当に見てもらえたらうれしいです。

 

アビス信仰って作中では「探窟家たちの心のより処」とか言われてただの迷信みたいに扱われてるけれど、『メイドインアビス』の世界観を理解するためには結構重要な概念だと思っています。

アビス信仰(23話、ナナチ談) アビスで命を落としたら、魂は奈落の底へ帰っていって・・・ 命を願ったもののところへ形を変えて旅にでるって感じのだな

アビスの呪いと成れ果て

アビスの呪いは「魂がアビスに残ろうとして体が起こす拒絶反応」だと思っています。

人間を“魂”と“体”に分けて考えたときに、アビスに還ろうとする魂の欲が強過ぎて体が付いていなかないようなイメージ。

 

アビスの力場が物理的にどう影響しているのかはわからないし、“魂”とか言うと怪しいスピリチュアルっぽい。けれど、一つの宗教観だとして捉えてます。

読んでみるとわかるけれど、“命”、“魂”、“体”という言葉は作中に結構出てきます。“転生”というアイディアも、仏教なら有りですからね。

 

アビスの呪い(=拒絶反応)が弱い、浅い地点なら軽い頭痛や吐き気。 酷くなると体の一部に異変(オーゼンの頭やプルシュカの前髪くるり等)が起こり、ある地点を境に体全体が変化。命は失われ、体の形が崩れてあんな風になります。

それが成れ果てるということ。

 

ボンドルドは、アビスの呪いが体を変化させる効果だけをを取り出して「祝福」と呼んでいます。

成れ果てについて

成れ果ては、拒絶反応に耐えられず命を失った体の中に、魂が残ってしまっている存在。

ミーティであれば、魂の欲は“奈落へのあこがれ”。

マジカジャさん曰く、村の住人たちの姿はそれぞれの欲を反映したものになっています。(これがアビスの呪い全般に言えることなのか、イルぶる独自の仕様なのかは謎。どっちかと言えば前者と予想。後述。)

 

そんななかでナナチは、命を残したまま体が成れ果てた稀有な存在。

(ミーティは成れ果てる直前に「死にたくない」と強く願った結果、祝福によって死ねない体を手に入れて、ナナチの分の呪いも引き受けることができてしまったというのが、現時点での僕の解釈です。プル石も同じ。)

 

アビスの祝福が“魂の欲を反映するものだと仮定して、”イルミューイが取り込んだ遺物(欲望の揺籃ようらん)は、意図的にアビスの祝福を引き起こすものだと思っています。そうじゃないと、ミーティの不死が説明できなくなってしまいます。

余談ですが、イルぶる(村5割、ゆりかご4割、母1割)の“ゆりかご”って完全に遺物のことですよね・・・。

https://www.weblio.jp/content/%E6%8F%BA%E7%B1%83

ショウロウ層

現代の六層「帰らずの都」を、1900年前の原住民とガンジャ隊は「ショウロウ」と呼んでいます。

 

ショウロウを漢字に当てはめるとどうなるか。

鐘楼(鐘を鳴らす塔)?

檣楼(船につけられたヤグラ)?

それとも・・・

 

候補は沢山有るけれど、個人的にアガッたのは精霊。 普通に読むと「せいれい」だけれど、「しょうりょう」や「しょうろう」とも読むそうです。

 

ショウリョウバッタのショウリョウはこれ。

お盆になるとバッタがご先祖様を乗せてやってくるから、殺生が禁止されているそうです。

しょうりょう、しょうらい、しょうろう日本の古神道的なものを指す場合は「しょうりょう」「しょうらい」「しょうろう」などと読み、これは「故人の霊や魂」を指し、あくまで「とこよ」(常世・常夜。死者の世界、黄泉の国や三途川の向こう)に旅立った霊魂を指す。それに対して「うつしよ」(現世)に残ったものは「幽霊」「亡霊」「人魂」などと呼ぶ。 Wikipedia精霊」より引用

ここまでくるとこじつけ臭くなるけれど、五層「亡骸の海」で体を残してきた魂が住む場所が「精霊しょうろう層」だとか考え始めたら面白くないですか?

僕はすごく楽しくなりました。

 

既に登場しているものを参考にするなら時計塔(=鐘楼)というのが妥当だと思うのだけれど、個人的には精霊の方が嬉しいかも。

今後の展開

気になっているのは、イルぶるで行われている呼び込み。

普通、通貨があって市場があって仕事をしている人たちがいるのなら、何もしなくても市場のみんなは豊かになって行くはず。

 

有名な話があるので引用。

知恵袋の質問「お金を稼ぐことに遠慮してしまう」に対する回答です。

富という物は、増える物なのだよ。そのメカニズムを説明いたしましょう。 たとえば、世界に二人(A君とB君)しか人間がいないとしよう。そして、1万円札が1枚だけあるとしよう。この時点では、世界全体の富の合計金額は、たったの1万円ということになる。 最初、A君が1万円札を持っていたとしよう。B君はそれが欲しかったので、A君のために家を作ってあげて、A君に1万円で売ってあげた。その結果、今度はB君が1万円札の所有者となった。A君の手からは1万円札が失われたが、かわりに家が残った。この時点で世界全体の富の合計金額は2万円ということになります。(1万円札+1万円相当の家) 次に、A君くんは、ふたたび1万円札が欲しいと思い、B君のために家を作ってあげてB君に1万円で売ってあげた。その結果、今度はA君は1万円札と家の所有者となった。B君の手からは1万円札が失われたが、かわりに家が残った。この時点で世界全体の富の合計金額は3万円ということになります。(1万円札+1万円相当の家が2軒) こうして、A君とB君との間を1万円札が行ったり来たりするたびに、A君とB君の手元には、様々な不動産や価値ある品物が増えていった。(つまり世界全体の富の合計金額が増えていった) やがて、二人は良い考えを思いついた。お互いに価値ある財物をたくさん所有するようになったので、それらを担保として1万円札をもっとたくさん作ろうと。(10万円相当の財物を担保に1万円札を10枚作るということ) その結果、もっと多くのお金が二人の間を行き来するようになり、もっとたくさんの財物が生産されるようになった。 以上です。設定にやや無理がありますが、原理は真実です。世の中の各人が「お金が欲しい!」と思い、お互いに努力し、生産し、サービスを提供し、つまりは経済活動をすればするほど、世の中全体の価値ある品物・価値あるサービス・財産、つまり富は増えていくのです。

もしそれぞれの働きで豊かになれるのなら、呼び込みなんてする必要はないと思うんです。

 

考えられるのは誰かが浪費しているという場合。

やっぱりイルぶるの維持のために価値を使ってるんでしょうか?それともほかに何かあるのか。

 

それと、アビスの呪いが魂と体の拒絶反応だとすると「リコが一度死んで、異物の力で命を得ていること」が何かの伏線になっている可能性があります。

体が死んでいて、ある意味既に成れ果てるような感じなのかな。

 

オーゼンさんが言ってた「奈落の底を目指したがる理由」はもしかして・・・。

考え始めたら怖いわ。

やっぱ先が楽しみ。

他の記事は『メイドインアビス考察トップ』へ。

https://life-is.club/about-made-in-abyss/

オススメはこれ

https://life-is.club/abyss-2000/