筋トレはクソゲー。なぜなら、「レベルを上げて物理で殴れ」が真理だから。
ドラクエやFFなど、RPGの基本は「レベルを上げて物理で殴ること」です。
倒せない敵がいたとしても、レベルを上げれば倒せるようになります。
だから、物語の序盤はボスまでたどり着けないことも度々。そんな時は、スライムなどの敵を倒してわずかな経験値を貯めることになります。
でも、これは面白いゲームというより作業。
派手な魔法攻撃は無く、敵の能力を下げる特技もない。
頭を使って困難な敵を倒す楽しみは欠片のない、ボタンを連打する地道な作業です。
筋トレは、それと同じです。
ひたすらトレーニングを続ける意味
前にも書いたけれど、体を鍛えるためにトレーニングをするのは、穴を掘って埋めるのと同じ、本来意味のないことです。
なぜなら、本当は生きる過程で勝手に筋肉が発達しているはずだから。
つまらないとかそういう話ではなくて、逃げて食べるために必要だから力を養っていました。だから、わざわざ体を鍛えるのが面倒に感じる。
獲物を追い詰めて採ることにはゲーム性があるけれど、バーベルを上下させるために知能は必要ありません。ボタン連打と同じです。
そんなことを続けていたなら、自分が何のために筋トレしているのかわからなくなっていきます。そのまま放置いしていれば、その内トレーニングに飽きて忘れ去ってしまうことでしょう。
獲物を用意するか、作業のつまらなさを認めるか。
トレーニングに飽きてしまわないためには、どちらか選ぶ必要があります。
「夏になる前に体を絞りたい」とか思える人なら、前者で良いと思います。
ちょうどジムが会員を集める時期なので、初回無料などのサービスがあるかもしれません。そういうところで一気にトレーニングを続ければ、それなりの身体は出来上がります。
獲物を追いかける勢いで、トレーニングを続けましょう。
そうでないなら後者。つまらない作業であることを認めてしまいましょう。
筋トレはつまらない作業だから、あくまで事務的に管理して“続けること”だけを考える。面倒な誘惑はあるけれど、それを振り切るためにあらかじめ用意をしておく。
出来るだけ邪魔なものを排除しておいて、後はトレーニングするだけにしておくこと。(これもある意味、“そういうゲーム”と捉えられるのかもしれません。)
そうすれば、トレーニングを続けられるようになります。
「常に格上と戦えばいい」とは限らない
これは、RPGのレベル上げと筋トレの違いです。
RPGなら格上の敵と戦って傷を受けても寝るか、アイテムで回復できます。生き返ることだってできます。
でも、筋トレにはそんなものありません。
体を壊せばそれで終わり。すぐに回復させることはできないし、一生残る可能性もあります。
だから、余裕が生まれるまでは格下と何度も戦うことも必要になります。
時間はかかるし忍耐力も必要になります。でも、そうした方が良いこともあります。
格上と戦うのなら、ある程度の枠の中で行うこと。
30秒プランクなんかはそんな感じです。
https://life-is.club/plank-30days/
筋トレが続かない人は、囚人筋トレよりこっちを先にして自信をつけた方が良い。
メイドインアビス好きの8割は知ってるであろうバンドIRabBitsについて思うこと。
2017年6月、ニコニコ動画にあるMADが投稿されました。
度し難い動画なのだけれど、後ろで流れている曲もすごくいい。
IRabBitsというバンドの『スターライナー』です。
https://www.youtube.com/watch?v=BvARVeQ-iww
IRadBits(以下アイラビ)、メチャクチャ良いから聴いて。
タイミングがあればライブも行って。全国でライブしてるから。
・・・というのがこの記事の趣旨。
アイラビは、4人組ライブバンドです。
I-RabBitsは4人組。横浜のバンドです。
- ボーカル・ピアノの竹下麻衣子さん
- ギター・コーラスの 加藤智之さん
- ベース・コーラスの猪野進一さん
- ドラムの山田祐大さん(アイラビ君の中の人)
ちなみに、現在の表記はIRabBits。
https://natalie.mu/music/news/288882
僕がアイラビを好きなのは、ロックっぽい曲にピアノのメロディが入ってエモいから。
「悩むことがあっても前向きに」させてくれる曲が良いから。
そして、それらの曲を竹下さんが活き活きと歌っているから。
初めてアイラビのライブを観たとき、MCで何を言っていたのかは憶えていないのだけれど、快活でほんとに楽しそうに歌っていたのを覚えています。
僕はアイラビが好きだし、アイラビを知ってる人が増えたらうれしい。
特に、アイラビと『メイドインアビス』が好きな人は最高だと思う。なぜなら、「闇が深いほど光も強くなる」と気付ける人だと思うから。
でも正直なところ、音源を通して広まるバンドじゃないと思うんです。
それより、ライブで目で見て感じることを経験してほしい。
ずっと日本中を周ってライブをし続けているバンドだからこそ、機会が多いからこそ、たくさんの人が見てほしいなと思っています。
映像を見ても元気そうなのは伝わると思うけれど、実際にライブハウスで見るアイラビはもっとすごい。言葉には出来ないんだけれど、必ず元気がもらえます。
https://www.youtube.com/watch?v=-WLy0BHXFo8
星の羅針盤の使い道と、“2000年毎のお祈り骸骨”について考察してみた。【メイドインアビス】
50話まで読んだ時点での考察です。
内容は、メイドインアビス1巻の表紙にも出てくる星の羅針盤と、2000年ごとの地層から出土するお祈り骸骨について。
星の羅針盤の使い道について
個人的に、2つ可能性があると思っています。
一つは夢のある方。もう一つは夢のない方。
夢のない方から先に紹介します。
夢のない方:「既に用済み説」
「アビスの中で見つかる遺物はアビスの中で使うもの。」
もしかしたら、その時点で考え方が間違っているのかもしれません。
星の羅針盤はアビスで使うための遺物ではなくて、外からアビス(オースのある“南の島”ベオルスカ)に向かうための物かもしれないということ。もしそうだったら、6層で振り切れる深度計のように無用の長物になってしまいます。
リコが星の羅針盤を紛失してしまったのは9話。
そこまでに登場する羅針盤は常にまっすぐ下(上?)を指しています。振っても針は動きません。
対して49話。
ヴエコさんが持っている星の羅針盤は、すこし斜めに傾いてます。
「その羅針盤が屹立するところに・・・」という言葉どおり、ヴエコたちガンジャ隊は羅針盤に従ってアビスに向かいます。それでアビスにたどり着いたのなら、使い方はこれだけなのでは?
メタい話。なぜリコは羅針盤を無くしてしまったのか?
これだけだとあまりに夢が無いので、そこから派生した妄想を。
もしリコが羅針盤を無くさず成れ果ての村に到着していれば、ヴエコと羅針盤が揃っていたはずです。
ヴエコからすれば、それは当然大事なもの。
幼少期の地獄から抜け出すきっかけであり、羅針盤を失うことで先住民と対話できた、イルミューイと出会うきっかけでもあります。
つまり宝物。見つければ何らかの反応を見せたでしょう。
それが手に入らなかったということは、ヴエコはこの先で羅針盤やイルミューイに変わる何かを手に入れるのでは?
そして、それは多分ヴエコにとって“闇”なもの。
つくし卿の嫌がらせは覚悟した方が良いのかもしれません。まあ、50話までアビスを読んでいれば、ろくでもない内容が続くことは分かり切った話ですが・・・。
羅針盤は、リコが初めから持っていた明らかに一層にはなさそうな遺物。機能的な意味はなくても、物語としては何か意味を持つものなんだと思うんです。
夢のある方:「呪いの向き」を指している説
アビスの呪いは、魂が体から離れようとするときに起きる拒絶反応かもしれない、という説を前に立てました。
アビスの底には“魂を引き寄せる磁石”みたいなものがあって、その磁場が呪いを引き起こす力場の正体かもしれない、という考えです。
実在する羅針盤(方位磁石)は、地球の磁力の流れの向きを指す道具です。
同じ様に、アビスの向きを示すのが羅針盤じゃないか、という話。
地球の持つ磁力の向きで方位が決まっているから、N極の針は常に北を指します。
じゃあ、なぜ地球に磁力があるかと言えば、地球内部が大きなコイルのようになっていて、そこに電流が流れているから。(ダイナモ説)
https://www.kahaku.go.jp/exhibitions/vm/resource/tenmon/space/earth/earth06.html
それをもとに考えると、星の羅針盤も何かの流れを指している可能性は十分考えられます。
地球の磁力はたまに逆転する
調べていて知ったのですが、地球の磁力は逆転する可能性があるそうです。(ポールシフト・地軸逆転)
https://forbesjapan.com/articles/detail/20001
そこで思ったのが、“魂を引き寄せる磁石”の向きが変われば呪いの向きも変わるのではないか?ということ。
現時点では上に登ろうとすると呪いに掛かるけれど、北に進むと呪いが発生するようになるのかもしれません。
そうでなくても、定期的に噴火する活火山のように力場が大きく乱れる時期があるのではないでしょうか。
→2000年の謎はこれ?
そこでつながってきたのが、2000年の謎。
ボンドルドが「次の2000年に踏み入る」ためにしたことは、プルシュカから祝福を受けること。ナナチと同じ能力を身に着けることです。
ナナチの能力と言えば、魔性のフワフワと“力場を見る目”。
ボンドルドは、この目が必要だと考えていたのではないでしょうか。
18話。4層のダイラカズラを見て、リコはこんなことを言っています。
ダイラカズラはね、 支えてる部分は別の植物なんだよ 今広がってるこのカズラの捕食器は2000年ごとに枯れちゃうんだけれど そしたら下にある植物が競って生えて全然違う景色を作るんだって
個人的には、ダイラカズラに限らず力場の乱れで2000年ごとに大量絶滅みたいなのが起きているのかなと思っています。
ボンドルドは祈り手がいる限り何度でもラストダイブできます。実際六層「帰らずの都」には既に行ってるし、既に七層「最果ての渦」を見ている可能性もあります。もしかしたら、奈落の底に何があるのかも知っているかもしれません。
お祈り骸骨の正体
ここで忘れてはならないのが、お祈り骸骨について。
一層「アビスの淵」にある埋葬塔で、2000年、4000年、6000年前のお祈り骸骨が見つかっています。このことから、オース周辺の地形は現在と大きく違わないと考えられます。
このお祈りのポーズである理由を考えてみると、可能性は二つ。
死ぬまで祈っていたからこのポーズなのか、死んだら勝手にこのポーズになるのか。
個人的には、アビスの呪いで死んで魂が体に取りこのされていると、多くの人は勝手にこのポーズになるのかな、と思っています。
理由は、ナナチのアジトでリコが語った臨死体験。
ここでリコは、「自分の同じ大きさの空洞が少しづつ狭まってきて、自分が何だったのかも忘れてしまった。」という話をしていました。
その時のリコは、膝を曲げて手を前に出しています。
ナナチたちに手当てされていたリコはどうかわからないけれど、苦しんでいるときの姿勢としてはよくあるものなんじゃないでしょうか。
誕生日の理由
分かりません。
“命の紋”的な何かなの?
誰か教えて下さい。
それにしても、キウイがアビスを離れた途端に回復したことからも、アビスの呪いが関係していると考えるのが妥当。
岸壁外ではどうなっているのか、とか気になりますね。
イラストが描けないと悩む初心者は、“好きな絵柄”より“描ける絵柄”から始めた方が良いのではなかろうか。
趣味でイラストを描き始めて半年くらい経つけれど、やっぱりそう思います。
そうしないとスタートラインに立つことすらできません。
上手いイラストはすぐに描けない
何をもって“上手い”とするかは人それぞれだけれど、大抵は誰かの絵を見て興味を持ち始めたのだろうと思います。
僕の場合、きっかけになったのは珈琲貴族先生。
軸中心派の店舗で大きなタペストリーを見て、「自分も描いてみたいな」と思いました。
グッズは買ってるし、タイミングが合えば版画展も行く。
作画キャラのいるソシャゲもやってます。
あなたは“何のために時間をかける”のか?
この人の絵が僕の思う“上手い絵”の基準だとして、そこを目指して練習するのは動機としては間違いではないと思います。
でも僕が同じ絵を描けるようになるわけじゃありません。
というより、わざわざ同じ絵を描く必要はありません。
だって、どうやっても本家には勝てないから。
より魅力的に思える絵を描けてもそれはしょせん劣化コピー。そのために時間を使うべきかと言えば、僕はそうじゃないと思います。
何より、僕の観たい絵はTwitterやpixiv、グッズとして既に描かれています。
じゃあ、描いてて楽しい絵を練習した方が良いんじゃないのかな?というのがこの記事の趣旨。
一言に“上手い絵”といっても、この二つは全くの別物ですよね。
- 観ていて楽しい絵
- 描いていて楽しい絵
線が引けないならグリザイユで描けばいい
世の中にはアニメ絵が氾濫してるからといって、「線画レイヤー+着色レイヤー=イラスト」というわけじゃありません。
描き方なんて人それぞれ。
決定的な弱点があっても、描き方を工夫すればそれは補えます。
例えば、グリザイユ画法。
適当に原型となるシミを作って、少しづつ形を整えていく描き方です。
https://www.youtube.com/watch?v=d0-IUiBEBIw
絵を描くとき「デッサンしろ」とか「形を捉えろ」とか言われるけれど、線を引いて一発で描くのってすごく難しい。
でも、グリザイユ画法なら何度でも修正しながら描いていくことができます。
綺麗な線が引けなくても絵は描けるんだから、他の弱点を補う方法だって調べればたくさん出てくるはずです。そこで出来ることを続けて、基本が抑えられるようになってから、少しづつ見たい絵の方に寄せていけばいい。
“観たい絵”を目的にするから疲れてしまう
僕は、“観て楽しい絵”と“描いて楽しい絵”は違っていると思います。
「みんなが“観ていて楽しい絵”を描けるようになりたい」と思うのを否定はしないけれど、それに囚われて何もできないでいるのなら本末転倒としか言いようがありません。
どうせなら“描いてて楽しい絵”を描く中で技術を付けていきたい。
僕はそう思ってます。
【メイドインアビス】アビス信仰をもとに、アビスの呪いについて整理、考察してみた。
『メイドインアビス』原作50話を読んで、いろんな人がイルぶる=イルミューイという話をし始めました。
初めはそれを聞いて懐疑的だったのだけれど、改めて自分で整理すると納得のいく点が結構あったので考えてみることに。
それにしても不明な点は多すぎるから、とりあえずアビス信仰に則って色々考えてまとめてみました。
完全に個人の見解なので、断定口調でも確定じゃありません。 適当に見てもらえたらうれしいです。
アビス信仰って作中では「探窟家たちの心のより処」とか言われてただの迷信みたいに扱われてるけれど、『メイドインアビス』の世界観を理解するためには結構重要な概念だと思っています。
アビスの呪いと成れ果て
アビスの呪いは「魂がアビスに残ろうとして体が起こす拒絶反応」だと思っています。
人間を“魂”と“体”に分けて考えたときに、アビスに還ろうとする魂の欲が強過ぎて体が付いていなかないようなイメージ。
アビスの力場が物理的にどう影響しているのかはわからないし、“魂”とか言うと怪しいスピリチュアルっぽい。けれど、一つの宗教観だとして捉えてます。
読んでみるとわかるけれど、“命”、“魂”、“体”という言葉は作中に結構出てきます。“転生”というアイディアも、仏教なら有りですからね。
アビスの呪い(=拒絶反応)が弱い、浅い地点なら軽い頭痛や吐き気。 酷くなると体の一部に異変(オーゼンの頭やプルシュカの前髪くるり等)が起こり、ある地点を境に体全体が変化。命は失われ、体の形が崩れてあんな風になります。
それが成れ果てるということ。
ボンドルドは、アビスの呪いが体を変化させる効果だけをを取り出して「祝福」と呼んでいます。
成れ果てについて
成れ果ては、拒絶反応に耐えられず命を失った体の中に、魂が残ってしまっている存在。
ミーティであれば、魂の欲は“奈落へのあこがれ”。
マジカジャさん曰く、村の住人たちの姿はそれぞれの欲を反映したものになっています。(これがアビスの呪い全般に言えることなのか、イルぶる独自の仕様なのかは謎。どっちかと言えば前者と予想。後述。)
そんななかでナナチは、命を残したまま体が成れ果てた稀有な存在。
(ミーティは成れ果てる直前に「死にたくない」と強く願った結果、祝福によって死ねない体を手に入れて、ナナチの分の呪いも引き受けることができてしまったというのが、現時点での僕の解釈です。プル石も同じ。)
アビスの祝福が“魂の欲を反映するものだと仮定して、”イルミューイが取り込んだ遺物(欲望の揺籃)は、意図的にアビスの祝福を引き起こすものだと思っています。そうじゃないと、ミーティの不死が説明できなくなってしまいます。
余談ですが、イルぶる(村5割、ゆりかご4割、母1割)の“ゆりかご”って完全に遺物のことですよね・・・。
https://www.weblio.jp/content/%E6%8F%BA%E7%B1%83
ショウロウ層
現代の六層「帰らずの都」を、1900年前の原住民とガンジャ隊は「ショウロウ」と呼んでいます。
ショウロウを漢字に当てはめるとどうなるか。
鐘楼(鐘を鳴らす塔)?
檣楼(船につけられたヤグラ)?
それとも・・・
候補は沢山有るけれど、個人的にアガッたのは精霊。 普通に読むと「せいれい」だけれど、「しょうりょう」や「しょうろう」とも読むそうです。
ショウリョウバッタのショウリョウはこれ。
お盆になるとバッタがご先祖様を乗せてやってくるから、殺生が禁止されているそうです。
しょうりょう、しょうらい、しょうろう日本の古神道的なものを指す場合は「しょうりょう」「しょうらい」「しょうろう」などと読み、これは「故人の霊や魂」を指し、あくまで「とこよ」(常世・常夜。死者の世界、黄泉の国や三途川の向こう)に旅立った霊魂を指す。それに対して「うつしよ」(現世)に残ったものは「幽霊」「亡霊」「人魂」などと呼ぶ。 Wikipedia「精霊」より引用
ここまでくるとこじつけ臭くなるけれど、五層「亡骸の海」で体を残してきた魂が住む場所が「精霊層」だとか考え始めたら面白くないですか?
僕はすごく楽しくなりました。
既に登場しているものを参考にするなら時計塔(=鐘楼)というのが妥当だと思うのだけれど、個人的には精霊の方が嬉しいかも。
今後の展開
気になっているのは、イルぶるで行われている呼び込み。
普通、通貨があって市場があって仕事をしている人たちがいるのなら、何もしなくても市場のみんなは豊かになって行くはず。
有名な話があるので引用。
知恵袋の質問「お金を稼ぐことに遠慮してしまう」に対する回答です。
富という物は、増える物なのだよ。そのメカニズムを説明いたしましょう。 たとえば、世界に二人(A君とB君)しか人間がいないとしよう。そして、1万円札が1枚だけあるとしよう。この時点では、世界全体の富の合計金額は、たったの1万円ということになる。 最初、A君が1万円札を持っていたとしよう。B君はそれが欲しかったので、A君のために家を作ってあげて、A君に1万円で売ってあげた。その結果、今度はB君が1万円札の所有者となった。A君の手からは1万円札が失われたが、かわりに家が残った。この時点で世界全体の富の合計金額は2万円ということになります。(1万円札+1万円相当の家) 次に、A君くんは、ふたたび1万円札が欲しいと思い、B君のために家を作ってあげてB君に1万円で売ってあげた。その結果、今度はA君は1万円札と家の所有者となった。B君の手からは1万円札が失われたが、かわりに家が残った。この時点で世界全体の富の合計金額は3万円ということになります。(1万円札+1万円相当の家が2軒) こうして、A君とB君との間を1万円札が行ったり来たりするたびに、A君とB君の手元には、様々な不動産や価値ある品物が増えていった。(つまり世界全体の富の合計金額が増えていった) やがて、二人は良い考えを思いついた。お互いに価値ある財物をたくさん所有するようになったので、それらを担保として1万円札をもっとたくさん作ろうと。(10万円相当の財物を担保に1万円札を10枚作るということ) その結果、もっと多くのお金が二人の間を行き来するようになり、もっとたくさんの財物が生産されるようになった。 以上です。設定にやや無理がありますが、原理は真実です。世の中の各人が「お金が欲しい!」と思い、お互いに努力し、生産し、サービスを提供し、つまりは経済活動をすればするほど、世の中全体の価値ある品物・価値あるサービス・財産、つまり富は増えていくのです。
もしそれぞれの働きで豊かになれるのなら、呼び込みなんてする必要はないと思うんです。
考えられるのは誰かが浪費しているという場合。
やっぱりイルぶるの維持のために価値を使ってるんでしょうか?それともほかに何かあるのか。
それと、アビスの呪いが魂と体の拒絶反応だとすると「リコが一度死んで、異物の力で命を得ていること」が何かの伏線になっている可能性があります。
体が死んでいて、ある意味既に成れ果てるような感じなのかな。
オーゼンさんが言ってた「奈落の底を目指したがる理由」はもしかして・・・。
考え始めたら怖いわ。
やっぱ先が楽しみ。
他の記事は『メイドインアビス考察トップ』へ。
https://life-is.club/about-made-in-abyss/
オススメはこれ
『メイドインアビス』の考察記事まとめ
『メイドインアビス』50話までの考察をまとめました。
このページは、管理人が竹書房のマンガ『メイドインアビス』を読んだ感想や、考察記事をまとめたものです。
完全に個人の感想なので悪しからず。
記事の最後にシェアボタンがあるので、記事をツイート等して頂けると嬉しいです。
更新履歴
感想とか
[new_list count="5" type="default" cats="55" children="0" post_type="post"]人気記事
[popular_list days="all" rank="0" pv="0" count="5" type="default" cats="52"]参考文献(原作コミック1~7)
このブログに原作のスクショ(いわゆる魚拓)はありません。
夜になって「自分は孤独で寂しい存在なんだ」と考え込んでしまったときにするべきこと
Twitterを観察しているとわかるのだけれど、夜になるとネガティブなツイートが増えます。
- 自分は孤独なんだ
- 生きている意味が分からない、辛い
- やりたいことなんてないのに
そういう言葉がたくさん並ぶし、僕も呟いたことがあります。
今はかなり冷静になっていて、思いつめることはほとんどなくなりました。
当時のことも思い返しながら考えると、ネガティブになる人って、「頭が回るタイミングでたまたま1人になりやすい」夜型の人なんじゃないかという結論に達しました。
朝型の人は、考える余力もなく寝てしまいますからね。
夜になると冷静になって「寂しさを実感する」
ネガティブな感情(孤独感や不安、緊張)は往々にして邪険にされています。
当然ですよね。
みんな孤独や不安を感じず楽しく生きていたい。
楽しさの邪魔になる不安は全て不要なもの。そう考えます。
でも“ネガティブな感情”って、どんなものであれ人を動かす大切な動力源でもあります。
怖いから逃げ出す方法を考えるし、苦しいから抜け出す方法を考えることができます。そう考えることには意味があって、一生懸命になっているから苦しさには注意が向きません。
そして最後には、現実的な危険から逃れることができます。
ネガティブな感情はそれ自体が悪いのではなくて、使い道が無いと溜まって腐り、悪いものになってしまう。そう考えてみると、いろんなものの見方が変わります。
意味のない不安が一番怖い。
一つのことに夢中になれるAさんは、裏で「自分にはこれしかないから」と言っていたりします。逆に言えば、どれだけ不安でもそれしかできないということ。
そんな不安定な状態だからこそ、不安を振り払うために一つのことに取り組むことができるようになります。もし、Aさんがその不安に意味を見出せずただ立ち止まっているだけなのであれば、すぐに不安で押しつぶされてしまうでしょう。
Aさんが感じている不安には“一つのことを掘り下げ続けるため”という意味があります。
じゃあ、夜に1人で感じた寂しさにはどんな意味があるのか。
捉え方は人それぞれだけれど、僕は寂しさ=自分らしさを確認するための感情だと思っています。
こういうのを「レゾンデートル」というそうです。
つまり、「自分にはこれがあればいい」です。
レゾンデートル 自身が信じる生きる理由、存在価値を意味するフランス語の「raison d'etre」をカタカナ表記した語。他者の価値と比較して認められる存在価値ではなく、あくまで自己完結した価値を意味する。 weblio辞典より引用
自分の存在を確認するための“寂しさ”
寂しさの根本にあるのは、「自分を安心させなければならない」という不安です。そんな時に大抵の人は周りの力を借りようとするのだけれど、身近に誰もいないから「寂しい」「取り残された」「不安だ」と感じます。
これが孤独感の理由。
人は、一人ではできない何かのために他人を求めます。
でも、今の時代大抵のことは自力でどうにかできます。
サービスが人に変わって助けてくれます。
人と話したいなら「斎藤さん」みたいなアプリがあるし、好きな趣味に没頭できるのなら一人の寂しさを忘れることができます。僕なら音楽を聴いて自分を鼓舞するでしょう。
何かしらの方法があるのだから、そういう“自分を保つための方法”を探すための感情が寂しさだと思っています。
「これさえあれば一人でも寂しくない」と思えるものがあるのなら、それがあなたらしいこと。そう思えるようになるための感情が寂しさです。
感情はすぐ腐る燃料。放置するのは良くない。
人はどれだけ強い怒りを感じても、5秒我慢することができれば冷静に考えられるようになります。つまり、怒りに身を任せて怒鳴り散らすことことは出来なくなってしまいます。
感情はずっととどまっているものじゃなくて、常に変わっていくもの。
それが自分にとって有用なものなのであれば、燻らせておくのは良くありません。
すぐに「自分が何に不安を感じているのか」を考えてみて、そのためにできることを試してみてください。そうすればネガティブな感情にも意味が生まれて、行動する原動力に変換できるようになっていきます。