自己否定を繰り返す生き方を辞めたいのなら、一度振り切れ。
僕は今24歳なんだけれど、今思い出せる学生時代の記憶ってほとんどありません。
というよりも、思い出したくないことが多すぎて忘れてしまったか、心のどこかで思い出すことを拒んでいます。なぜなら、学生時代全部が黒歴史だから。ずっと「自分は孤立だ」と感じていたからです。
成人式は出てないし、これまで同窓会に呼ばれたこともありません。
小学校の高学年に上がったころから徐々に自分の周りから人が離れていって、中学では友達と呼べる人は一人も出来なかった。 一人で昼食を食べて、休み時間に徘徊することにも慣れた。 本を読んだり寝たフリをして授業の間の休憩をつないで、誰かに笑われても無視して、何事もないように毎日をやり過ごしていた。
あ、「回想長い」って思ったら飛ばしてください。
[temp id=5] 県外の高校に入学して、ある1人が話しかけてくれた。 自分の相手をしてくれる人がいることは素直にうれしかったけれど、今冷静になって思い返してみればただの依存だったと思う。周りの人は「ニコイチ」だといっていたけれど、本当はそうじゃない。 僕は3年来のクラスメイトだった彼と彼の友人たちを、スクールカースト最下位に戻らないための道具として利用していた。 大学に入って“クラス”が無くなって一人の時間を手に入れたときに、初めて「自分は何をしてもいいんだ」と気付いた。バイトを初めてお金を稼いだり、一人で好きなバンドのライブに行ったり、学校近くの古着屋に通ったり。 そうやって好きなことをするのと比例して、高校時代から続いていた自己嫌悪は強くなっていった。 同級生は“誰かとつながること”が楽しそうで、それが出来ない自分が惨めに感じてしまったから。 「自分は一人でいていい」という認識と、「周りの人はみんな誰かと一緒に居る」という事実を比べて見えるようになったのはこのころ。 ようやく、「昔から一人でいた自分は、一人でいるほうが安心できるんだ」と気付きました。 [temp id=6]
本題:自己否定を辞めるための方法。
どうしてこんな暗い身の上話をするのかというと、理由は2つ。
僕は今でも、自分のことが嫌いでたまりません。
なぜなら、過去をなかったことにすることはできないから。どれだけ忘れようとしても、ふとした時に記憶が巡って「あの時ああしていれば…」と後悔してしまいます。
昔のことを思い出すと気分が悪くなるし、夜は眠れなくなります。
でも、そんなマイナスな生活を続けたいわけじゃない。だって苦しいから。
僕がこの後悔をプラスに転換するための唯一の方法は、この経験を使って、これまでのマイナスに見合うリターンを得ること。
ブログのアクセス数、“誰かの役に立った感覚”、広告収益、どんな形でもかまわないから、「あの経験が有ったから、今の自分がここに居られるんだ。」と納得できる体験をすることだけです。
ちょっと自分を慰めてみたからと言って、心に空いた穴が塞がるわけじゃありません。甘やかし始めて癖が付いたら、古傷は化膿してどんどん堕落していくだけです。
笑えば楽しいし、気持ちはかなり楽になります。
でも、後悔から解放されることは無いし、辛さから逃れることも出来ません。ただ少し、前に進むエネルギーを補給できるというだけのことです。
本当に必要なのは、そういうヌルい対策じゃない。
自分で自分を助ける方法を考えること。
「誰も自分を助けてはくれない。自分の後悔を利用してでも成功して幸せに生きる方法はないのか?」と考え続けて、実行することだけです。
誰かの奴隷にならないために、自分で考えて行動できる人間になるために、技術を身につけて、行動しないといけない。それが、自傷を辞めて自分を助けるための唯一の方法です。
自分を解放する
アメリカの漫画家チャールズ・M・シュルツ(1947-1999)の漫画「ピーナッツ」に登場するキャラクター、スヌーピーのセリフにこんなものがあります。
ルーシー「Sometimes I wonder you can stand being just a dog ….」 (時々、わたしはどうしてあなたが犬なんかでいられるのか不思議に思うわ。)
スヌーピー「You play with the cards you’re dealt …whatever that means. 」 (配られたカードで勝負するしかないのさ…..それがどういう意味であれ。)
僕に配られたカードの中の一枚が偶然、「自分に嘘をつき、人と馴染めず、相手を裏切って後悔することだった」というだけのこと。
そこに意味なんてありません。
当然、僕だってこうはなりたくはなかった。こうならないと思っていた。
でも、一度そうだと気づいたら「このカードをどうやって使えば生き残れるのだろう?」と考えるしかありません。
もちろん、普段から人に向かってこんな話をしているわけでは無いし、しようと思っているわけでもありません。リアルでこんな話は禁句だと思っています。
だからこそ僕は、この後悔の活用方法を知りません。
「じゃあ、この使えないゴミを使えるゴミにするためにどうすればいいのか。」
そう考えて、この記事を書いています。
過去のトラウマを乗り越えるのは当たり前。
その時の辛い気持ちは、思い出さなければ時間とともに思い出せなくなっていきます。
問題は辛さにとらわれることなく、「自分の経験を生かしてどう生きるのか?」を徹底的に考えること。
それしか、この地獄から逃れる方法はありません。
https://life-is.club/fear-prizon/
多分、ストイックで活躍している人ほど自己嫌悪は深いのだと思います。
なぜなら、それだけ清算しなければならないものが多いから。その分人より余計に動かないといけません。
それが良いことなのかどうかは分からないけれど、僕はそうであるしかないと思います。それで勝てれば御の字。
いま、後悔に浸っている時間はありません。
後悔と自己嫌悪を振り切るための方法
じゃあ、後悔して感じる暗い気分にならないためにどうすればいいのか。
それは、何かに徹底的に集中することです。
Twitterのタイムラインを遡ったり、ネット上で見つけた面白い動画に夢中になって周りに意識が向いていなかったという状態になったことはありませんか?
そういうときには、それほど大きな不安を感じていないのではないでしょうか。
人間の脳が一度に処理することのできる情報量には、限度があります。
目の前の一つの事だけに集中して、他のすべてを受け付けないような状態のことを、フロー状態と言います。
https://www.youtube.com/watch?v=_BsNC6-kMwA
自己嫌悪から逃れるための方法は、フロー状態に入ることで一時的に不安を振り切ること。
その間に何かの練習をして、自己嫌悪しない自分になること。
極度に集中している間は余計なことを考える暇は無いし、辛い気持ちを思い返すこともありません。
そうやって余計なことを考えない時間を増やしながら、確実に技術を付けて、自分を助ける方法を模索する。必要なのはそれだけです。
何に集中できるかは、人によって違います。
僕にとって集中できることの一つが、文章を書くことであり、イラストを描くこと。そのために考えることでした。
だから今、こうやってブログを書きながら、イラストの練習もしています。
その目論見が成功するのかどうかは分かりません。
でも、人に貢献することのできる技術があるのなら、人に必要としてもらうことができます。文章が書けるなら、長い文章でも読んでもらうことができます。
それなら、可能性があるんじゃないか、と考えています。
自分に何ができるかわからないなら
自分にできることが無い・分からないと思っているのなら、自分のやりたいことは何なのか、時間をかけて考えてみてください。
何か、やりたいと思えるものがあるはずです。
調べてみると、案外そのカギとなる知識は転がっているものです。
https://life-is.club/core-personal-project/
後悔していては何も生まれないけれど、心のどこかで気持ちは燻っているはずです。
その燻りを発散させる場所を見つけてあげれば、後は身を任せるだけ。
「分からない」のではなくて、「まだ知らない」だけです。
“好き”から逃れることはできません。